大河道 雷刃の雑想録

「評論家の言うことを信じてはいけない。何故なら評論家が讃えられて彫像が作られた事など一度もないのだから」 ジャン・シベリウス(作曲家)

明日の十字架

何だかウルトラマンAの最終回、Aの残した言葉が話題になっているようで...個人的な思い出をひとつ。小さい頃、待望のレンタルビデオがやっと開店してそこにAのビデオがありました。但し、単独変身になってからの話のみ。当時はたしか7泊8日で一本千円以上だった記憶がするので毎週レンタルは難しかった覚えがあります。そんな中で最終回、初見時は「ありがとうA!ボクもAの願いを守るよ!」みたいな気持ちだったと思います。それが年齢を重ねて色々な考察本を読んだり、現実の理不尽を経た視点で見返した時に「明日のエースは君だ!」というサブタイトルにはもしかして「明日ウルトラマンエースのように試されるのは君だ!」という意地悪な意味なのでは?と考えたりしました。後にこの脚本を書かれた市川森一さんの他の作品を見ると「隊長の娘が連れてきた聾唖の少年が宇宙人でテレパシーでウルトラマン・郷秀樹に挑発を繰り返す(帰ってきたウルトラマン)」、「主人公の兄妹に化けた宇宙人が先々で殺戮・略奪を繰返し、本物が社会に追いつめられる(シルバー仮面)」、「警察官の親族が事件に巻き込まれ助かるものの捜査協力を拒否する(代表取締役刑事)」等に近い物を感じました。特に挑発という点では帰ってきたウルトラマンの「悪魔と天使の間に...」はA最終回の原型に近いのでは。とりあえずつらつらと思ったことを書いて来ましたが、脚本を書かれた市川森一さんはクリスチャンと聴きました。ならば苦境に追い込まれるヒーローに十字架に磔にされたキリストを見ていたのでしょうか。Aの言葉と願いを受けて十字架に立つ覚悟を持つには今の時代、辛すぎるのではないか。本日、ここまで。


https://youtu.be/-RfcUvg9dGM