大河道 雷刃の雑想録

「評論家の言うことを信じてはいけない。何故なら評論家が讃えられて彫像が作られた事など一度もないのだから」 ジャン・シベリウス(作曲家)

題材と素材

題材:作品の内容となる材料

素材:元になる材料

(三省堂国語辞典より)

鬼滅の刃」が相変わらずヒットを続けてますね。この勢いだとアニメの二期があるのかな?どうせやるなら完結までやってほしいですね。そのおかげかどうか解りませんが当初鬼滅より期待をかけられたと思われる「STAND BY ME ドラえもん2」の興業成績が思ったより伸び悩んでいるとか。

ここからは下らない世方の戯言です。このドラえもんを手がけた山崎貴監督は私は好きではありません。「もう映画を撮るな!」とかそう言う訳ではないです、むしろどんどん撮って下さい。私は見ませんが。山崎監督は二作目まではオリジナルでしたが三作目「ALWAYS 三丁目の夕日」以降は色んな原作を元に自分流にアレンジした作品が大半を占めます。山崎監督にとって原作は自分の創作の題材ではなく、何か映画を作りたい時に使いやすいただの素材にしかすぎないのでは、と思っています。

YouTubeで「もし太陽にほえろが現代に甦ったら?」というコンセプトのMADを長年アップされてる方がいらっしゃいます。太陽にほえろだけでなく、色々と作品の幅を広げられているようでファンもいらっしゃるようです。私も何本か拝見しました。しかし合わなかった。初めは「やはり俺も自分が否定していた権威主義や懐古主義者だったのか」と自己嫌悪に陥りましたが、少し間を空けてもう一度見返すとそこには前述していた題材と素材の違いを感じました。変な例えですが太陽にほえろ松花堂弁当の容器とするならそこに全く違うものを詰めた感じ。同じ動画としてでもかえって権利元に配慮した画像とオリジナルBGMと文章だけの物に胸を打たれたりして。なんというか結局は「根っこに愛があるか否か」なんですよね。そういえば昔こんなCMコピーがあったなよぁ、「愛だろ、愛」。