大河道 雷刃の雑想録

「評論家の言うことを信じてはいけない。何故なら評論家が讃えられて彫像が作られた事など一度もないのだから」 ジャン・シベリウス(作曲家)

十一年目の3.11

はい、どうも。今日は東日本大震災があった日でしたね。十一年は…早い。あの頃私は家の用事を済ませて遅い昼食を食べながらCSでWWEを見ていたように記憶しています。そして揺れ始めたらテレビとストーブが突然消えて、何がどうなったか解らなくなりとにかくラジオをつけて大きい地震があったことを理解し、ほぼ寝たきりの祖母の部屋に行くと部屋の片隅で震えひたすら床に頭をつけて歯をガチガチ鳴らし拝んでいました。

とりあえず毛布を用意して、まだ仕事中の妹の無事を願いながら待っていると無事帰宅。道中の話を聞くと町中は信号が全滅、警官が手旗信号で動かしている状態。車の流れに入るとマズいと咄嗟に裏道を通り続けたのだとか。その晩男は私一人、家族を守らねばと思い眠れないなかで絶えず来る余震とラジオの警報と共に一夜を送りました。

翌日、コンビニに行ってみると中は予想通り真っ暗で物は無し。レジが使えないので電卓と手提げ金庫で計算している状態。結局コンビニを四つ回って買えたのはカップラーメン二つ。アイスや冷凍食品のケースからは水が染み出していたのをよく覚えています。

ラジオでは火力発電所の復旧作業の進み具合が随時放送され、まだまだ寒さの残る時期だったので夜の事を考えると早く復旧してほしいと願う中三日目の夜十一時頃に電気が復旧。ホッとしましたね…運良くガスや水道は生きていたのである程度元の生活に戻る事がこうして出来ました。CSをつけると地震マークが数日出たままでしたね。その火力発電所も先日老朽化のため発電所としての役目を終えました。

そんな最中私の父は沖縄に旅行中。地震の大きさをよく知らず、帰りの飛行機も途中で降ろされて青森から高速バスで帰ってきたところにこの周りの暗さに事態が飲みこめていませんでした(笑)。しかし後で「いない間みんなをよく守ってくれた」と言ってくれた事を思い出しつつ

本日、ここまで。そして…合掌。


Gの祈り 岡林信康 - YouTube